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広島地方裁判所 昭和52年(わ)317号 判決

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から五年間右刑の執行を猶予する。

被告人を右猶予の期間中保護観察に付する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は昭和五〇年五月ころから、広島市荒神町一―四五株式会社アークホテルのフロント係として勤め、月収約九万五、〇〇〇円を得ていたものであるが、昭和五二年五月三日午後八時ころから同市新天地の映画館で映画を観た後、同所付近のキャバレー等数軒でビールを飲み、最後の店を出た時には所持金の殆んどを費消してしまっていることに気付き、これから同月二五日の給料日までどうして生活をしようかと途方にくれて同市内を歩いているうち、翌四日午前一時四〇分ころ、広島市中町二番二二号広島畳材ビル西側前路上において、帰宅中の秋田ミヨ(当時六二年)をみとめるや、突嗟に同女が左腕にさげて所持していた皮製ハンドバッグをその在中物とともに強取して当座の生活費に充てようと企て、いきなり同女の背後から両手でその鼻口部を塞ぎ、手拳でその顔面等を数回殴打したうえ、同女をその場に転倒させ、その後頭部を一回アスファルト道路面に打ちつけ、更に手拳で同女の顔面・胸部等を数回殴打する等の暴行を加えてその反抗を抑圧したうえ、同女所有の現金四万四、五四一円及び女物腕時計他二六点(時価合計約三万五、六五〇円相当)在中の皮製ハンドバッグ一個(時価約五、〇〇〇円相当)を強取したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二三六条一項に該当するが、犯情を考慮し同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三〇日を右の刑に算入することとし、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から五年間右の刑の執行を猶予し、なお再犯を防止し併せて更生を援助するため同法二五条の二第一項前段により被告人を右猶予の期間中保護観察に付することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書により、これを被告人に負担させないこととする。

(強盗致傷の訴因につき強盗と認定した理由)

検察官は、被害者秋田ミヨは被告人の前記暴行により、加療約一週間を要する顔面、胸部、右肘挫傷の傷害を受けているので、被告人の所為を強盗致傷罪に該るとして同罪で起訴したわけであるが、当裁判所はこれを判示のとおり強盗罪と認定したので以下その理由を説明する。

一、刑法上の各特別構成要件において「傷害」という言葉が使われている場合、それはすべて一律に医学上の「傷害」、すなわち病理的変化ないし身体の生理的組織の損壊一切を意味するものと解すべきではなく、刑法各本条の立法趣旨ならびに各構成要件の態様を考慮し、かつ社会通念をも斟酌して目的論的に解釈するのが相当であると思料する。このことは、たとえば刑法上の「暴行」の意義について、一般には公務執行妨害罪、暴行罪、威力業務妨害罪、恐喝罪、強盗罪等における各暴行は同一に解されておらず、概念の相対性が認められていることからも首肯できるところである。

そこで、強盗致傷罪における「傷害」の程度如何を検討してみるに、

(1)  先ず、強盗罪の構成要件の一部である「暴行」は、公務執行妨害罪における暴行とは異なり、直接被害者の身体に加えられることを要し、その程度も単純暴行罪におけるそれよりは強度であって、被害者の反抗を抑圧するに足るものでなければならないと解せられているところ、かような有形力が直接人の身体に加えられた場合には、被害者の身体の一部に軽微な発赤とか皮下出血あるいは腫脹等何らかの痕跡が残るのが通常であるから、右の程度の生理的機能の障害は、強盗罪の手段としての「暴行」に伴う不可避的なものと考えられる余地のあること。

(2)  つぎに、傷害罪と暴行罪とは、その法定刑の下限がいずれも科料となっており同一であるのに対し、強盗致傷罪と強盗罪の各法定刑の下限は、それぞれ懲役七年及び懲役五年であって、傷害の有無によって両者の間に懲役二年の差が存していること。

(3)  また、強盗罪においては、被害者に対しその反抗を抑圧するに足る暴行を加えても、財物奪取の点が未遂となれば強盗未遂罪となり、刑法四三条本文により未遂減軽をなすことも可能であるのに対し、強盗犯人がその手段たる暴行を加えることによって、被害者に対し傷害の結果まで生ぜしめた場合には、たとえば財物奪取の点が未遂であっても、強盗致傷罪(既遂)の刑責を負い、未遂を論ずる余地は全くないと解されているところ、このことは、強盗致傷罪の保護法益として、財物(私有財産)よりも人の生命、身体を格段と重視しているものと考えられるので、同罪の「傷害」の程度については特に慎重な検討を加える必要が存すること。

以上の点に、強盗致傷罪の刑の下限が懲役七年であるため、酌量減軽しても執行猶予を付することは法律上不可能であることをもあわせて考察すれば、強盗致傷罪における「傷害」を通常の傷害罪におけるそれと全く同一に解することは、強盗致傷罪に問われた犯人に対し、ともすると不当に苛酷な刑を科することとなり、なんとしても不合理である。ちなみに改正刑法草案においては、強盗致傷罪の法定刑の下限を懲役六年と規定して、事案によっては執行猶予を付することを可能にし、右のような不合理を解消すべく企図しているのであるが、かような措置をとり得ない現行刑法の下においては、その不合理性はできるかぎり解釈によって除去せざるを得ないのである。

したがって、強盗致傷罪における「傷害」の程度は、傷害罪のそれよりも幾分強度の生理的機能の障害ないし健康状態の不良な変更を受けたことを要し、被害者が特に傷害を受けたことを意識せず治療のために特別な医療行為を必要としない等、日常生活に殆ど支障をきたさない程度の僅かな表皮剥脱、腫脹、その他極く微量の内出血の如きは、強盗致傷罪の「傷害」には含まれないものと解するのが相当である。

そこで、本件につき考えてみるに、医師林剛吉作成の診断書によれば、被害者秋田ミヨの傷害の程度は「顔面、胸部、右肘打撲傷により全治約一週間の見込」と診断されており、また、司法警察員の昭和五二年五月一二日付現場写真撮影報告書によれば、秋田ミヨの顔面に四個所、(長さ約〇・五センチメートル三箇所、約二センチメートル一箇所)頸部に一箇所(長さ約三センチメートル)のやっと認められる程度の挫傷(ひっかき傷)があり、右肘部に縦三センチメートル、横二センチメートル位の打撲傷があることが認められるのであるが、被害者を診断した医師である証人林剛吉の当公判廷における供述によれば秋田ミヨを診察した記憶はほとんど薄れているほど同女は軽微な患者であったこと、カルテによるとのみ薬、ぬり薬、湿布薬を与えたものの、顔面、胸部の傷害については皮下出血がわずかに認められるのみで腫脹はなく、別段の治療をほどこさなくとも自然に快癒し、また右肘打撲傷については多少圧痛はあったが、動かすだけでは何らの痛みも訴えず、一応湿布をしたものの、この程度の傷害は特別の治療をしないで放置しておいても自然に快癒するものであること、診断書には治療期間として全治一週間と記載したが、打身であれば同証人の場合どんな軽いものでも最低全治一週間と診断していること、等の事実が認められ、また、被害者秋田ミヨの当公判廷における供述によれば、同女自身も怪我をした意識は全くなく警察署で写真をとられたとき、「ちょっとあとがありますよ。」と言われてはじめて顔面等の傷に気がついたこと、その際痛みや腫れている感じはしなかったが、警察官に勧められたので、事件後半日程経過した五月四日の午後になって、はじめて警察官に同行されて林外科医院に赴き診察、治療をうけたこと、そして本件に基因する傷害について通院したのは同日一回だけであること、顔面、頸部の傷害については当時は全く気付かず化粧をするときなどにも痛みを自覚していなかったこと、胸の痣も痛みはなく風呂に入ったときに気がついたがいつのまにか消えたこと、右肘の傷害については警察から帰って休んでいたころから押さえれば少し痛みがあったが、そのままであれば洗たくや炊事等をする時にも痛みはなく、医者から湿布薬およびぬり薬を与えられ、湿布はしたもののぬり薬は使用しないまま、一週間位で完治したこと、同女は事件後二日間ほど仕事を休んでいるが、これは本件により精神的なショックを受けたことに基因するもので、右傷害は前記の如く同女の日常生活になんらの支障も及ぼしていないことなどの事実が認められ、右認定に反する証拠は存しないのである。

したがって以上のような諸事情に照らすと、本件程度の軽微な傷害は、本件強盗罪の暴行に伴なう必然的な結果として生じたものであって、改めて強盗致傷罪の責任まで問うほどのものではないと考えるのが相当である。

よって、当裁判所は本件公訴事実の訴因を縮少して、判示のごとく強盗罪と認定した次第である。

(量刑の事情)

本件は、被告人が、給料を受け取った一〇日ほど後である判示日時に、所持金二万数千円のうち残金二千円足らずになるまで遊興費に使ってしまったため、翌日からの生活費に窮した結果、深夜一人で帰宅中の六二才になる女性を襲い、金員等在中のハンドバッグ(時価合計約八万五、一九一円相当)を強取した事案であり、また本件によって被害者に与えた精神的打撃も大きく、以上の観点からすると、被告人の刑責はまことに重大であると言わざるを得ない。しかし、本件は、被告人が思わぬ深酔いをして自制心が若干弛緩していたため惹起された偶発的犯行であり、被害品は、犯行後直ちに警察官に領置されて回復しており、被告人において何らの利得も得ていないこと、本件後わずかとはいえ慰藉の方法を講じており、被害者もすでに宥恕の意を表明し被告人に対し寛刑を望んでいること、被告人は、五年前に一度業務上過失傷害罪により罰金刑に処せられたことがあるのみで、他になんらの前科・前歴もないこと、被告人は本件により既に二ヶ月余り勾留され、事実上の制裁をうけているところ、本件犯行を敢行したことについては心から反省しており改悛の情も極めて顕著であって再犯の虞れは少ないと認められること、被告人はいまだ二〇代の若い前途ある青年であって、本件犯行を犯すまではホテルのフロント係として約二年間真面目に働いていたこと、右職場の上司が今後被告人の更生につき援助することを誓っていること、その他被告人の経歴、家庭の事情等被告人に有利で且つ同情すべき諸事情をすべて参酌すれば、被告人に対し今回ただちに実刑を科すよりは、酌量減軽をしたうえ、その刑の執行を長期間猶予し、国家機関の指導・監督のもとに社会において自力更正の機会を与えるのが相当と思料されるのである。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 植杉豊 裁判官 正木勝彦 永松健幹)

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